脱原発をブームで終わらせないために
2011-11-18


・放射性廃棄物の問題が解決されていないので原発はトイレのないマンションみたいなものである
・原発に飛行機が墜落したり、外国(ソ連など)に攻撃されたら原爆が落ちたのと同じことになる
・ウランは国内でほとんど採れないので外国に燃料を依存するのは良くない
・核燃料サイクルは、大変危険である(プルトニュウムの問題と輸送上の安全性の問題)
・唯一の被爆国なのに原発はおかしいだろう(利用するのも嫌だし、核兵器すぐ作れる)
・ウラン鉱山、原発周辺、再処理工場周辺はガンや白血病の発症率が高い
・電気の大消費地には危険で建てられないものを過疎地に造るのはおかしいだろう
・原発から消費地まで送電するとかなりのロスがある
・原発は電気の需要に合わせたこまめな出力調整ができない
・国内の高速道路などを使った核燃料輸送も危険だ
・情報が正しく公開されていない(データ捏造、事故隠しも含む)
・被害が出たら、そこの人間だけでなく多くの生き物、子孫にまで重大な影響が出る
・大量の熱が出て海があたたまってしまうし、海が汚れる(漁業に影響)
・地域を分断する(推進派と反対派)
・大きいことは良いことだという風潮はやめたい

そんなところだ、どうだろう、今言われていることと同じだよね。そして当時も安保闘争や反基地闘争、三里塚闘争などの戦闘的なデモと違い、チェルノブイリ後の反原発のデモは、子連れでお母さんが参加しているものも多く、新しい動きですねと言われていたように思う。勿論ブル新(ブルジョア新聞のこと、マスコミ=新聞は、ブルジョアジーの御用機関にしか過ぎないからそう言ってた)やテレビでは報道されなかったけれど・・・

当時はインターネットなど全然普及していない状態でせいぜいパソコン通信だし、さらには、コンピュータというかワープロさえ高価で、手書きのミニコミ誌(紙)が主流だった。だから情報の伝達は大変で、手紙の切手代がもったいないのでハガキ通信なんかも多かったなあ。「週刊金曜日」はまだなかったし、講談社から発行されていた旧「DAYS JAPAN」は原発に関する記事が多かったなあ。これが廃刊されたことも反原発運動がポシャった一因だと思います。そうするとアグネス・チャンは原子力村に関係があるのだろうか?(旧「DAYS JAPAN」が廃刊になったのは、講演料が高すぎるという記事のなかのアグネスのものが間違っていたからという不可思議なものだった)

さて、当時反原発運動に関わっていた人がどうなっていったのか、本当は自分のことを書くべきなんだろうけれど、それはもう少し自分の中で整理してからにする。今回は当時関わりのあった何人かの人のことを書いてみたい。
最初に断っておくが、彼らのことを批判しているわけでも、まして非難しているなんてことは全く無い。当時20代の前半だった私は彼らの知識や行動力についてはもちろん、人間として尊敬していたし、もうだいぶ会っていないけれど今でもそれは変わらないと思う。それから、あくまでもこれは私にはそう見えたということであり、本当のところ、彼らがどう思ってそのような行動をしたのかは、おそらく本人にしかわからないのだろうと思う。

・Aさん  反原発の団体を作ってリーダーになり講演会を企画したり様々な団体と連携して署名運動などをしていた。わたしも彼が主催するある講演会にいって知り合った。数回お宅にお邪魔したこともある。実家は大きな稲作農家だった。無農薬農業などに親と対立しながら取り組んでいたが、六ケ所村の問題を考えるようになってから、やはり現地に行かなければだめだと行って、六ケ所村に行った。その後連絡していない。今でも六ケ所村にいるのだろうか?その団体も自然消滅したようだ。


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